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日本における「岩登り技術書」の歴史について

 
1.はじめに

イギリスの湖水地方の岩場でロック、クライミングが始まり、イギリスの登山家A・F・マンメリーが1875年(明治8年)マッターホルンのツムット稜をロック、クライミング技術により初登攀し、岩登りによるバリエーションルートの開拓を始めて行った。以来マンメリーはヨーロッパアルプスにおいて,多くの岩登りルートを開拓した。この為にマンメリーイズム=岩登り,と言う登山法がアルピニズムの主流となって行き、岩登りという物がヨーロッパアルプスでは、一般的な登山法となって行く。こうして、より困難な、より高くを目差したアルピニズム論が確立し、アルプスの岩壁、氷壁のビックルート、コーカサツの高峰、そしてヒマラヤ登山へと発展して行く。マンメリーも最後はヒマラヤの8000m峰、ナンガパルパットを目差し、帰らぬ人となる。日本では岩山が少ないため、その発展はヨーロッパアルプスに遅れること50年、大正時代にやっと行われる様になる。日本では大正13年、関西の芦屋ロックガーデンを中心として藤木九三がロック、クライミング、クラブ(R・C・C)を結成し、岩登り技術を研究して行くが、「岩登り技術書」はこのRCCにより藤木九三を中心とし、初出版される。これ?で大学山岳部が主流だった日本の山岳界に、ロック、クライミング=岩登り技術が社会人山岳会にも流れ、多くの山岳会により実践され一般化されて行く。古書店で買い集めた「岩登り技術書」も大分多くなり、日本で出版された代表的な書物はほぼ揃ったので、岩登りの技術書を中心に、日本における岩登りの変遷をたどってみたい。別紙に手持ちの本を、年代順に示しましたので参考に願います。

 

2.日本における岩登りの歴史

大正9年、槇 有恒がヨーロッパアルプスのアイガー東山稜をガイドと供に初登攀した事が、日本人の岩登り記録のスタートと考えられる。関西RCCの設立は岩登りを広く一般的にした、剣岳、穂高岳、そして昭和の始めに谷川岳の一の倉沢が岳人の目にとまり、この三山を中心に日本の岩登りは発展する。昭和20年代までは岩稜、ルンゼ、岩壁の中に出たカンテなどが岩登りの対象であったが、昭和30年代に入りヨーロパのアルピニズムの影響を受け、日本のアルピニズムも「より困難を目差し」がうたい文句となり、一気に岩壁の登攀、積雪期の登攀が実践される。その実績を持って昭和32年に設立された日本の代表的クライマーの集まりである第二次RCCが、昭和40年にヨーロパアルプスに遠征し、アルプスの六級ビックルートの岩壁を登り日本の登攀レベルの高さを証明する。以後ヒマラヤの岩壁において日本のクライマーは多くの実績をのこし、今日に至っている。私が初めて一の倉沢に入ったのは26歳、昭和43年であり日本の岩壁のビックルートは10年ほど前にほぼ登り尽くされていた。しかしヨーロッパアルプスの岩壁を目差す者にとっては、日本の六級ビックルートは登竜門として必ず登攀する必要?あった。当時は貧しかった我々は夢の又夢のヨーロッパアルプスを思い、六級ビックルートの岩壁にチャレンジしていた。

 

3.「岩登り技術書」の歴史、戦前編(昭和20年まで)

日本で初めて本にロック、クライミング=岩登りが紹介されたのは、明治44年6月発行の雑誌「中学世界」夏期増刊号、大田三郎の「ロック、クライミング」である。この記事のネタ本は後に紹介する、RCC、藤木九三の出版した「岩登り術」と同じであり、イギリス人、ジョージ、エブラハム氏の著書「岩登りの基礎」である。別紙に「岩登り技術書の一覧表」を示しますので以後の参考に願います。実際に岩登り技術を詳細に紹介した本としては、大正12年7月発行の「山 行」著者、槇 有恒がある。アイガー東山稜を初登攀し、帰国後に書かれた本でありアルプスのベルナー、オーバーランド地方を主とした登山記録であり、その中心地は有名なグリュンデルワルトである。最終第7章「岩登りに就いて」に38ページに渡り書かれている。この本は日本人による初めてのアルプスの登攀記録として多くの岳人に影響をあたえた。

大正13年に設立されたRCCは、藤木九三を中心に岩登りの実践と研究に励み、大正14年、RCCのクラブ員のために「岩登り術」を300部出版する。これが日本における初の岩登りの技術書である。クラブ員に配布し、のこりは市販された様であるが,いかんせん発行部数が少なく我々の目に触れる事は無さそうだ。この後藤木九三は仕事でヨーロッパに渡り本場アルプスの登山をし、又イギリスにも渡り岩登り発祥の地を訪れ「岩登りの基礎」の著者、ジョージ、エブラハム氏に面会しRCCの「岩登り術」を贈り帰国するが、昭和6年7月にそれまでの体験を生かし、前作「岩登り術」を改訂し写真を多く取り入れた「槍、穂高、岩登り」を出版する。

昭和8年9月には、RCCの岩登り技術の集大成とし「岩登り術」著者、水野洋太郎が出版される。こうして岩登りの発展に貢献したRCCはその使命を終え、昭和9年に解散する。水野洋太郎の「岩登り術」は中々立派な本である。このRCCの活躍の中、槍ヶ岳北鎌尾根の初登攀者である、早稲田大学山岳部OBの船田三郎が昭和5年6月、「岩登り」を出版する。船田三郎は始めの章でA・F、マンメリーの「まことの登山者とは、常に新しい登攀を求めて止まぬ人でなければならぬ」と云うアルピニズム論を17ページに渡り論じている。図もまだ全てイラストにより説明されている。又、岩登りにおける精神論と、用具の説明にページの50パーセントを割いている。

昭和14年6月、久しぶりに海野治良、高橋 照、供著による「登攀技術」が三省堂より出版される。内容は岩壁、氷壁、までを対象にした本格的な登攀技術書である。岩と雪における日本の技術レベルを、100パーセント写真により技術解説をしている。写真も、穂高、谷川、三つ峠、などで四季をとうし困難な登攀をし、撮影された物が使用されている。序文は藤木九三が書いているが、この書が「わが山岳界が世界に贈る、誇るべき最初の技術書であることを断言する」とあり、最後に「この書による登高精神の昂揚が、興亜の聖業に何等かの形で寄興するところあらんことを祈って」と記し筆を置いているが、まさに中国に戦線を伸ばし、国が大きな戦争に巻き込まれている様子が良く判る。

 

4.「岩登り技術書」の歴史、戦後編(昭和20年以降)

敗戦後の登山界においては山岳書の名著は余無いが、多くの山岳雑誌は発行され、登山者に読まれていた。敗戦による貧しさの中では山に登るだけで精一杯杯であり、他のことは余、出来ない状況にあった。こうした中、昭和24年6月、「岳 人」の創刊者、伊藤洋平が[岩登技術]を出版する。

伊藤洋平は積雪期の穂高屏風岩初登攀という実績あるクライマーであり、ヒマラヤを目差す現役アルピニストでもある。登攀技術に関しては具体的な内容であると供にその応用編も書いており、雪と岩を目差す者には凍傷と墜落による怪我の手当てわ重要であるが、さすが医学者らしくその手当てを如何に行うかも書かれている。昭和29年4月、関西登高会の梶本徳次郎と前田武治の共著により,「登攀技術」が出版される。その自序文には、「ロック、クライミングが近代アルピニズムの、手近な入門であるという主観には、多くの方が賛成なされるでしよう」と記され、岩登りが前進的な登山者にとって、不可欠な物になりつつ有る事が判る。又、自序文には「伊藤洋平の岩登り技術書まで5−6種が出版されているが」とあるが、戦後の伊藤洋平の1冊を考えると戦前に5冊出ている事になり、先に紹介した5冊となるであろう。伊藤洋平は雑誌「岳 人」の創刊者であり、水野洋太郎同様医学博士でもある。この本の特徴は、連続写真で岩登りにおける身体の移動法を説明し、又、穂高、剣、鹿島槍、谷川、における登攀ルートを写真に入れている事である。序文は水野洋太郎である。

昭和32年7月、奥山章の「ロック、クライミング」が出版される。縦18cm、横13cm、68ページの小冊子であるが、全て写真解説となっている。手持ちの本の表紙を開けると原田輝一様、奥山章とペン字でサインがしてある。原田輝一は吉尾弘と供に一の倉沢の滝沢冬季初登攀をした優秀なクライマーであり、奥山章とは懇意にして居たのであろう。サインの横、表紙カバーの裏には「ロック、クライミングこれを垂直の散歩と名ずけた登山家がある、死の匂いの漂う垂直の道、正しい技術をマスターしたクライマーにのみ、この死の垂直の道は楽しいプロムナードとしてひらかれるであろう。」と書かれている。

著者、奥山章は昭和33年5月第二次RCCを結成、第一回RCC時報には、1)岩場のルートランキングの研究、2)新しい登山用具の研究が上げられており、この為日本の全てのクライマーに呼びかけ「スーパーアルピニズム」の旗印の元にRCCは結成された。

ヨーロッパアルプスでは既にリス(小さい割れ目)のない岩壁に埋め込みボルトが使用されたり、オバーハングに3段アブミが使用され人工登攀の時代に入り、それまで登攀不可能と云われた岩壁が登られる様になっていた。 この為,本書ではダブルザイルの使用、オーバーハングの吊り上げ技術、アブミの使用、その他今までの技術書に無い多くのテクニックが写真により紹介されており、小冊子ながら斬新な技術書となっている。

昭和36年5月、「岳 人」157号は「岩場とグレード特大号」と銘打って、岩登りについて幅広い検討をしている。特大号だけあり記事、写真供ほぼ100パーセント岩登りに関する物である。始めに岩場におけるグレードに対する考え方を英国、ドイツ、ソビエト、フランス、の例を取って説明しており、ソビエト以外は岩場を1級から6級に分け、易しい岩場を1級とし段々レベルを上げ非常に困難を5級とし、6級は極度に困難であぶみを使用する人工登攀技術が必要となっている。今後このグレードを日本の岩場にあてはめて行こうとするグループが第二次RCCである。片や岩登りを余、重要視しない古典的な登山家達は、ルートを科学的に分析しグレードを付ける事に嫌悪感を持ち対立するが、時代の流れには抗しえなく為っていく。

昭和40年11月、第二次RCCは遂に「日本の岩場・グレードとルート図」を山と渓谷社より発刊する。フリークライミングのグレードは1級から6級までとし、人工登攀はA1からA3までにランクずけした。此れに依れば一番困難なルートは6級A3となるが、当時の日本では谷川岳の一の倉沢、衝立岩正面壁だけがこのランクとなる。他に6級ルートは2本有り、穂高の屏風岩東壁と前穂東壁Dフェースである。この本では穂高岳、剣岳、北岳、谷川岳、三つ峠、の岩場のルートとグレードが決められた。我々もこの本のルート図とグレードを参考に登るべき岩場を決めていった。この本では48ルートが紹介されているが、この後他の多くの岩場のルートもこの例に倣い決められていった。ヨーロッパアルプスでは既に行われていた事ではあるが、日本の岩場を体系的に、ルートをグレード化した第二次RCCのクライマー(登攀者)達の努力は、日本の登山技術のレベルアップに大いに貢献したものと思う。

昭和42年10月、RCCに所属していた小森康行が写真家として、「日本の岩場」写真集を発刊する。小森康行は、私の尊敬する登山家古川純一の設立した「日本クライマーズ・クラブ」に所属する優秀なクライマー(登攀者)であり、さすがに撮られた岩場の写真は登るものにとって大変参考に為る物である。日本の岩場56ヶ所が紹介され、その登攀ルートも解説されており、クライマーにとって大変有為な本であり、まさにクライマーのみが撮れる写真集である。

昭和43年5月、同じくクライマーであり写真家である、安久一成の「ロック、クライミング」が出版される。この本は岩登りの写真集と言って良いほど実際に登っている本番中の写真が多い。著者も、今まで多くの岩登り技術書が出ているので何か新しい物をと考え、写真グラフの形式で纏められたので、写真も綺麗で今までの技術書とは異なり見ても楽しめる本となっている。技術的には最新の人工登攀技術、積雪期の岩壁の登攀、氷壁登攀、と時代の最先端の登攀技術を紹介している。

昭和43年6月、第二次RCCの「岩登りとグレード」があかね書房より出版される。 この本は広く多くの岳人に読んでもらう目的があるのであろう、価格が480円と安く装丁も良くないが、その内容はクライマー(登攀者)とは如何に有るべきかを広く解説した好書である。クライミング技術、クライマーの適正、ザイルパートナーについて、トレーニング法、困難度のグレード体系、等が書かれている。この中に名門「山岳同志会」設立者、斉藤一男氏が「岩登り文献」なる一文を書いているので読んでみたが、ここに示した技術書以外の文献は見当たらなかった。 昭和43年9月、第二次RCCの「人工登攀とスーパーアルピニズム」が上記と同じシリーズとして同じくあかね書房から出版される。スーパーアルピニズム=より困難へのチャレンジとして人工登攀技術が論じられ、その登攀用具が解説される。新しい登攀技術として多くの新しい用語がありその解説、最後に人工登攀ルートの紹介もある。これらの書に出ている技術や人工登攀用具は、当時我々クライマーには当たり前の物で、今更本で勉強する事もなかった。今読むとこれ等の書はロック、クライミングの歴史において貴重な文献であり日本の登山における歴史の一ページを示している。

最後の三冊が出版された昭和43年は私が本格的に登攀活動に入った時期であり、思い出多い年である。穂高の滝谷、北岳バットレスを登攀し岩登りに自信が出て来た年でもある。翌年44年一月は穂高の明神岳東稜、三月は谷川岳東尾根、五月は穂高の屏風岩東壁、六月は谷川岳一の倉沢、衝立岩正面壁と立て続けに日本を代表する雪と岩のビックルートを登攀した。この秋結婚を控えた私はいささかの登山に対する焦りもあった。

「岩登り技術書」の一覧表

出 版 日   書 名         著 者        発 行 所

M44年6月  中学世界、夏期増刊号  大田三郎「ロッククライミング」掲載
T12年7月  山  行        槇 有恒        改 造 社
T14年    岩登り術        藤木九三        R C C
S5年6月   岩  登        船田三郎        目黒書店
S6年7月   槍・穂高・岩登り    藤木九三        木星社書院
S8年9月   岩登り術        水野洋太郎       黒百合社
S14年5月  登攀技術        海野治良、高橋 照   三省堂
S24年6月  岩登技術        伊藤洋平        欄書房
S29年4月  ロック・クライミング  梶本徳次郎、前田武治  朋文堂
S32年7月  ロック・クライミング  奥山 章        角川書店
S36年5月  岳人 157号「岩場とグレード特集」      東京中日新聞
S40年11月 日本の岩場「グレードとルート図」 RCC2   山と渓谷社
S42年10月 日本の岩場「写真集」  小森康行        東京中日新聞
S43年5月  ロッククライミング   安久一成       東京中日新聞
S43年6月  岩登りとグレード    RCC2        あかね書房
S43年9月  人工登攀とスーパーアルピニズム  RCC2   あかね書房