若き日の岳友梅ちゃん
私には若き日に良き二人のザイルパートナーが居た。岳友の名は梅ちゃんと山ちゃんである。
昨年の山ちゃんとのヨーロッパアルプスの山旅の話が具体的になった時、山ちゃんからショックな話を聞かされた。3年前に梅ちゃんがアルプスのマッターホルンで遭難死したという。その内容を聞くと梅ちゃんらしい遭難死であった。
68歳で亡くなるとは思いも寄らなかった。梅ちゃんは私より5歳年下で山ちゃんは9歳年下である。梅ちゃんに初めってあった時の印象は、ヘルメットをかぶった姿は可愛い女の子だと思ったほど小柄であった。私が26歳~27歳で最も山登りに夢中になっていた頃である。都岳連所属の北斗山岳会に所属していた我々3人は、奥多摩のゲレンデつずら岩で毎週のように岩トレをしていた。先輩に頼らない登攀をしたかった私は、若き二人と多くの登攀をした。二人とも岩登りは上手かったので、穂高屏風岩、谷川岳一ノ倉沢の岩壁、北岳バットレス、谷川岳幽ノ沢V状岩壁など多くの登攀ルートを登った。何時も素晴らしい登攀が出来た事を思い出す。
梅ちゃんとの最後の登攀は谷川岳一ノ倉沢の衝立岩正面岩壁であった。この登攀はかなり順調に登ったが、8時間を要してしまった。梅ちゃんとの思い出で最も印象深いのは、マチガ沢と一ノ倉沢の間にある東尾根の岩稜を厳冬期に登り、そのまま茂倉岳へ縦走して雪洞でビバークした時である。翌日に万太郎谷への雪の急斜面の下降中に、梅ちゃんが足首を骨折してしまい、二人で大変な苦労をした事である。二人分のザックを運び、梅ちゃんを背負って運ぶために戻ってくると、雪の中を這って進んでおり、意地っ張りで、気丈な梅ちゃんの、私への負担を少なくしようと思ういじらしさに涙が出てしまった。やっとのことで土樽駅にたどり着き、東京に戻ることが出来た。意地っ張りな梅ちゃんはその後に、山ちゃん同様にヨーロッパアルプスに向かい現地で生活し、アルプス三大北壁の全てを登ってしまった。山ちゃんも日本人として初めてヨーロッパアルプスの多くの登攀ルートを登り、クライマー仲間では有名になって行く。
その後に山ちゃんはフランス国立登山学校から国際ガイド免許を貰っている。私には出来なかったヨーロッパアルプスの多くの登攀をした二人を、心から尊敬している。梅ちゃんが亡くなってから、彼のお姉さんから見せられた日記はドイツ語で書かれていたと云う。オーストリヤ山岳会に所属していた梅ちゃんはドイツ語を勉強しており、意地っ張りで努力家の梅ちゃんらしいエピソードであった。
記:剛