勉強会(剛のあれやこれや)
日本文化の理解と維持

第二次世界大戦中にフランス人ポール・グローデル氏は演説の中で「世界でどうしても生き延びてほしい民族を上げるとしたら、日本民族である」と、敵国である日本民族についてこう語った。同氏は外交官であり、劇作家でもあり、詩人であっ […]

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「魔の山 谷川岳」と遭難についての考察

魔の山谷川岳 「魔の山谷川岳」とは戦前から言われてはいた様だ。昭和11年の新聞記事に魔の山 谷川岳で簡易保険局員2名が雪崩に遭い遭難し、1名が死亡した事が書かれている。谷川岳の遭難統計は昭和6年から記録されているが、この […]

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日本の登山の歴史 No.4 

1.戦前最後と終戦後の登山活動 昭和10年を過ぎるとと中国戦線が激しさを増し、戦争の時代に入り段々山登りなど出来なくなってきます。 1)昭和11年1月に加藤文太郎が槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難する。 後に岳友が会員の為に加藤文 […]

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日本の登山の歴史 No.3

7.探検とスポーツとしての登山(近代登山) 7-1、近代登山の初期 政府お抱え外国人科学者により行われた。 明治3年:後の英国公使アーネスト、サトウは軽井沢ー浅間山―乗鞍岳―上高地―八ヶ岳を走破する。 明治10年~12年 […]

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日本の登山の歴史 No.2

3.戦略的及び政治的支配の為の登山―戦国時代 3-1、戦略上の登山 戦国時代より戦争の戦略上で、山岳の要路が重要視されるようになる。相手国への攻め込み、逃げ道として峠道が重要となる。 1)安房峠・・・信州より飛騨へはいる […]

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日本で初めて発行された山岳雑誌

「山とスキー」と山岳雑誌について 1.はじめに 我々が現在目にする事が出来る山岳雑誌としては「山と渓谷」「岳人」「新ハイキング」であるが、大正時代から今日まで13の山岳雑誌が世に出たが、残ったのは僅かこの3種のみで他は廃 […]

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日本の岩登りの革命児達 第二次RCCの活動と歴史

1.はじめに 日本の岩登りの歴史は昭和32年(1957年)3月、先年惜しくも滝沢リッジで遭難死した吉尾弘が谷川岳一の倉沢の滝沢を積雪期に原田輝一と初登攀したことにより大きく変化する。この積雪期の滝沢の登攀は昭和初めに日本 […]

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日本における「岩登り技術書」の歴史について

1.はじめに イギリスの湖水地方の岩場でロック、クライミングが始まり、イギリスの登山家A・F・マンメリーが1875年(明治8年)マッターホルンのツムット稜をロック、クライミング技術により初登攀し、岩登りによるバリエーショ […]

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日本近代登山の父「ウオルター、ウエストンさん」

1.はじめに 山登りが好きで日本のアルプスに登った人であれば一度は「ウオルター、ウエストン」の名前は聞いた事があるであろう。ウエストンさんはイギリス人の牧師さんで、明治21年に来日以来、沢山の日本の山に登っている。 この […]

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ピッケルについて

1.はじめに ピッケルとはどの様にして使用され、形を変え現代の我々まで伝わって来たのであろうか。ヨーロッパアルプスでは古くから、山頂には悪魔が棲むと恐れられ、人々はその山頂に登ることは考えなかった。しかし科学者達が高山の […]

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