日本の登山の歴史 No.4 

1.戦前最後と終戦後の登山活動

昭和10年を過ぎるとと中国戦線が激しさを増し、戦争の時代に入り段々山登りなど出来なくなってきます。

1)昭和11年1月に加藤文太郎が槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難する。

後に岳友が会員の為に加藤文太郎の山行記録を纏め名著「単独行」が完成。市販され今日まで多くの人々に読まれている。

2)東京商科大学(―橋大学)山岳部の活躍

  1. 昭和10年~12年にかけて北岳バットレスの登攀を行なう。当時はこの大岩壁を登ることは画期的な出来事であった。始めは夏から秋にかけて偵察登山を行ない、バットレスの多くのルートを初登攀します。
  2. 昭和12年1月厳冬期にバットレス中央にある第四尾根を登攀し、厳冬期の大岩壁登攀の魁となる。しかし後が続かず戦争も激しくなり、穂高、剣岳、谷川岳などの大岩壁の登攀は戦争で中断し、大岩壁の登攀は日本人の生活が安定し出した、戦後の昭和30年代まで待つ事になります。
  3. 昭和16年~20年の戦時中は登山などしている者は、国賊ものと思われ山に行く事は誰もがひかえていたので、この時代は登山記録は無いに等しい。

注)ヨーロッパの登山:ヨーロッパでは幕末の1857年に始めて英国にアルペンクラブ(山岳会)が誕生し、本格的にアルプス登山が始まる。それまでは山岳には悪魔が住んで、山に登った人は災いを受けると信じられていた。日本の山と異なり、氷河のある、厳しい岩と雪の山岳は人を寄せ付けなかった。 日本の登山:日本では江戸中期より宗教登山として立山、白山、富士山、御嶽山、木曽駒ヶ岳、甲斐駒ケ岳、など3000m級の山々が登られており、全国的に一般の人も参加した宗教登山が盛んに行なわれ、山が穏やかな日本の山岳は親しみやすく、多くの人々に受け入れられ、日本の登山の歴史は大変古いと言えます。

北岳バットレスの全貌

3)昭和24年1月に槍ヶ岳の北鎌尾根にて松涛明が遭難する。 徒歩渓流会の遭難報告と杉本光作が纏めた松涛明の山行記録「風雪のビバーク」は山の名著として今日まで永く読まれている 。

徒歩渓流会の遭難報告書 市販本「風雪のビバーク」

2.世界の登山界にヒマラヤの時代が来る

(1)昭和25年6月3日、フランス隊により人類初の8000峰「アンナップルナ」が登頂される。このニュースは世界の登山界を沸かせ、多くの登山家に刺激を与えた。

(2)昭和28年イギリス隊により世界最高峰エベレストが初登頂される。実にイギリス9回、スイス2回、合計11回の遠征が行なわれ、やっと初登頂された。戦前イギリスが7回の遠征を行い登頂出来なかった北面を諦め、エリック、シプトン(イギリス)が南面ルートの偵察を行い、登頂可能と判断しイギリスは南めんからの登頂をめざした。

しかしその前にスイス隊がエベレストの登山許可を取っており、春、秋と2度の遠征をしてチャレンジしたが登頂できず、イギリス隊に幸運が舞い込んだ。

ネパール側から見たアンナプルナ峰

3)日本でも昭和27年、マナスル登山調査隊が派遣され、戦後初めてヒマラヤ登山が開始されます。京都大学の人類学者「今西錦司」により8000m峰マナスルが登山対象として選ばれ、日本人の8000m峰としてマナスルが暗黙の了解が世界からえる

「マナスル」8125mの山頂と登頂隊員の下山

4)昭和31年に日本山岳会、第三次マナスル登山隊が、「槇有恒」隊長の下に日本人が始めて8000m峰の初登頂を果たす。

5)昭和28年に京都大学山岳部がチャレンジし敗退した、アンナップルナ二峰(7900m)の夕暮れ

6)マナスル登頂がきっかけで昭和30年代に登山ブームが起こり、サラリーマン登山者が激増、3人寄れば山岳会と言われた時代、社会人山岳かが台頭し、新しい時代の幕開けをします。その幕開けとは?

3.日本の大きな岸壁の初登攀時代がくる

昭和30年から35年まで、谷川岳、穂高岳、剣岳、等の日本の大きな岩壁は夏、冬とも社会人山岳会のクライマーに初登攀されてしまいます。

谷川岳1の倉沢
衝立岩?穂高岳屏風岩東壁

1)この時代から、戦前の登山体質と登山技術に固守した「日本山岳会」の時代が終わり、新しい雪と岩の岩壁の登攀技術において、社会人山岳会がリーダーとして、世界の登山界に対抗して行く時代に入ります。

2)そして社会人山岳会のクライマー達が、第二次RCC(ロック、クライミング、クラブ)を結成し、昭和40年代にヨーロッパアルプスの大岩壁を登る時代を経過し、昭和50年代ヒマラヤの雪壁や困難な稜のバリエーションルートの登攀に挑むようになる。

4.日本人のヒマラヤでの活躍

昭和50年以降、日本人によるヒマラヤでの活躍は目覚しく、活発に行われる。

1)日本人によるエベレストでの世界初登攀と記録

  1. 1973年:世界初の秋期のエベレスト登頂、加藤保男。
  2. 1975年:女性初のエベレスト登頂、田部井純子。昭和50年
  3. 1980年:北壁の初登攀、日本山岳会、社会人合同隊。
  4. 1988年:山田昇が北稜から南東稜に世界初縦走。昭和63年
  5. 1993年:群馬岳連、厳冬期南西壁初登攀。
  6. 1995年:日本大学隊、北東稜初登攀。平成7年
「北面から見たエベレストの全貌」

2)その他ヒマラヤでの日本人の世界初登攀

  1. 8125m、マナスル西壁の初登攀
  2. 7750m、ジャヌー北壁の初登攀
  3. 8597m、カンチェンジェンガ北壁の初登攀
  4. 8167m、ダウラギリ北壁の初登攀
  5. 8516m、ローツェ西壁の初登攀
  6. ヒマラヤ以外では山田昇が初めて厳冬期の五大陸最高峰を全登頂。山田昇は8000m峰を11座登っている。(八千m峰は14座ある)

3) 群馬山岳連盟の活躍 山田昇をリーダーとしてヒマラヤで多くの活躍をした群馬山岳連盟の著作「8000mの勇者たち」は感動的な本である。ヒマラヤではこの他にも多くの日本人による初登攀や記録があります。

「ダウラギリ8167mの南東稜の雪稜」

5.日本百名山と中高年登山ブーム

昭和39年発売された深田久弥さんの書いた本「日本百名山」は、中高年登山者の登山目標のバイブルとなり、此れを登る為に多くの中高年登山者が増加し、「百名山ブーム」を引き起こします。(山と高原に連載した「日本百名山」を単行本として発売し読売文学賞を貰っている。)

昭和39年7月初版の「日本百名山」

1)「日本百名山ブーム」により、日本全国の百名山が登られる様になり、此れに目をつけた観光会社が百名山登山ツアーを組み、中高年登山者に便利さを提供し、今日の観光登山ブームが訪れました。ヒマラヤトレッキングも観光登山ブームの中に入るでしょう。

2)中高年登山者の遭難の多発

登山を中高年になってから始めた人が多く、中高年の登山者比率が著しくアップした。この為に厳しい登山環境の体験が乏しく、登山知識、登山技術の不足、体力不足などにより遭難の80%が中高年登山者となるが、2008年遂に遭難の90%が中高年登山者となった。

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