日本で初めて発行された山岳雑誌

「山とスキー」と山岳雑誌について

1.はじめに

我々が現在目にする事が出来る山岳雑誌としては「山と渓谷」「岳人」「新ハイキング」であるが、大正時代から今日まで13の山岳雑誌が世に出たが、残ったのは僅かこの3種のみで他は廃刊となってしまった。最近はフリークライミングの雑誌も有るが、山岳を広く楽しむ精神から程遠いので山岳雑誌からは省きたい。大正時代北海道で創刊された、私にとって幻のような山岳雑誌「山とスキー」が神田古書店で最近多数入手出来たので、山岳雑誌について簡単に書いてみたい。

2.日本で初めて発行された山岳雑誌「山とスキー」

日本初の山岳雑誌「山とスキー」は大正10年5月に第1号が発行されてから昭和の初めまで100号続いた山岳雑誌である。しかしページ数は少なく23~37ページと大変な小冊子である。定価は30銭で、特集80号は63ページで60銭定価となっているが、今見れば真に粗末な雑誌である。「山とスキー」の発行元は「北海道帝国大学文武会スキー部」関係者の組織する「山とスキーの会」となっている。30号に「山とスキーの会会則」が定まり,掲載している。此れによると「山とスキーの会」に入るには、出費金として1口20円が必要であり、雑誌発行以外に山とスキーに関する各種事業を行なうとなっている。「山とスキー」は昭和6年「山と雪」に改名され発行されているが、10号を持って廃刊となっている。

  

3.北海道帝国大学文武会「山岳部」の創設

昭和3年4月発行の「山とスキー」80号には「北大山岳部年報、第一年」予約募集のガリ版刷り折込チラシが入っており、昭和2年秋に「山岳部」が創設された事が記されている。山とスキーの両立が成り立たず「山岳部」の設立をみたのであろう。北大山岳部「年報創刊号」発行に当たっては後に名著「北の山」を書いた「伊藤秀五郎氏」が大変貢献している。多くの冬山山行とその記録を7件書いており、編集も引き受けたようだ。

また「山とスキー」の70号辺りから慶応大学山岳部OBの「大島亮吉」が盛んにヨーロッパのアルピニストの事なども書いており、山にも重点が置かれるようになり、登山が活発になり山岳部の設立をみたのであろう。

上記写真は雑誌「山とスキー」に入っていた申込書と、伊藤氏所蔵の山岳部報第1年号の中に書かれた伊藤氏の書き込みである。私が北海道に仕事で行った折、古書店で偶然に伊藤氏所蔵の山岳部報第1年号を入手した。

4.その他の山岳雑誌について

大正、昭和の初めに「キャンピング」「山と旅」「登山とスキー」「山小屋」「ケルン」等が発刊されていたが、今日残っているのは昭和5年5月創刊の「山と渓谷」と昭和7年4月創刊の「ハイキング」が昭和25年5月に改名し「新ハイキング」として存命しているのみである。「岳人」は戦後の昭和22年5月創刊で、京都大学山岳部の医学部学生「伊藤洋平」がヒマラヤ目差して本格的な山岳雑誌をイメージして創刊した山岳雑誌である。今日まで13程の山岳雑誌が創刊されているが、僅か3件しか残っておらず、かように山岳雑誌が生き延びるのは大変なのである。

戦前の山岳雑誌は粗末な物が多く、小冊子なので破けたり捨てられたりし てしまい、また戦争で焼かれてしまい残りも少なく、売値も現在500円から2000円ぐらいで安いので古書店でも余り扱わないので、入手するのが中々困難である。今回入手した「山とスキー」などはほぼ10年越しに捜し求めた山岳雑誌である。11号、30号、40号、60号、70号、80号、90号、と切れのいいNOも求められたのも幸いであった。今後は創刊号と10号、20号、50号、最終100号を捜し求めたい。

  

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