ヒマラヤを開拓した3人のアルピニスト

1.はじめに

過日久しぶりに分厚い本「高い山はるかかな海」と言う、W,H,ティルマンの伝記を読んだ。

ティルマンは登山家として戦前活躍した英国人で、戦前はヒマラヤのナンダデビという、人間が登った世界で最も高い山を登った記録保持者でもある。このティルマンが54歳を過ぎ大きな山を体力的に登れないことを悟ってから、海の航海者となり、数々の航海冒険記録を作ったとの事を何かの本で読んだ。紹介されていたこの「高い山はるかな海」と言うティルマンの伝記本を読みたくなったが、1982年に発行された本なので、古書店を探しても中々見つけることが出来ず2年ほど過ぎてしまった。そしてごく最近「モダンアルピニズムをリードした知性たち、山の名著30選」なる本を読んだが、この30冊に紹介されてはいないが、登山者として読んでおきたい本の中にこの本が紹介されていた。

また「モダンアルピニズムをリード・・・」の著者あとがきに、「穂高書房の和久井さんに大変お世話になった。」と書かれており、久しぶりに古書店「穂高書房」店主、和久井さんを阿佐ヶ谷の店に訪ねてみる。この本も中々読み応えのある個性的な内容なので、著者について聞いてみようと足を運んだわけである。著者についての話が終わり、「高い山はるかな海」について訪ねてみると、なんと今偶然にあるという。古書と言うものは探しに探しても無く、出るときはこんなものである。早速に購入し読んだが、中々良い本でティルマンの人生に感動し、この一文を書く気になったしだいです。

2.戦前のヒマラヤ登山について

昭和初期~昭和25年頃に活躍したスマイス、シプトン、ティルマンなどのヒマラヤ開拓時代はどの様にして山頂を目差したのであろうか、もちろん簡単な山はヨーロッパ登山スタイルのラッシュタクティックで自らテントを移動し一気に山頂に至り、困難な山は極地法スタイルでキャンプを段々と高所に設置し少人数で起動的に山頂を目差している。特に3人はヒマラヤ、カラコルムの山岳地帯における地図の空白地帯を探検し測量し地図を埋めた功績は多大なものがある。このため、シプトン、ティルマンの二人は登山家ではあるが、未知の山岳地帯の探検、地理的測量、動植物の観測などに探検家として多くの功績を残している。

こうした探検により、不明だった山や、谷、峠などの位置が確認され、地図の精度が増し現在難なくヒマラヤを登たり、トレッキングなどが出来るようになった。また彼ら3人の山岳民族(シェルパ族など)との交流、友情、信頼が後の登山隊にとって、シェルパ族等の力を利用させてもらう為にも、大いに力となった事も忘れてはならない。

3.F、S、スマイスについて

スマイス、シプトン、ティルマンの3人は戦前ヒマラヤ開拓とエベレストの遠征で最も活躍した登山家であるが、彼らはいずれも英国人である。彼等が活躍しやすかった大きな原因は、インドが英国領でありその周辺からチベット、中国まで勢力範囲内でありその行動が大変し易かったことにある。

戦後はネパールの鎖国化、中国の共産化と中国のチベット侵略により一時期チベット側からのヒマラヤ入山は出来なくなった。こうした中で書かれた本が、ブラット、ビット主演で映画化された「セブンイヤーズ、イン、チベット」である。この本はアイガー北壁を初登攀した、ハインリッヒ、ハーラーがドイツ軍人として追われ、ヒマラヤを越えチベットに侵入した逃亡記であり、幼き頃のダライラマとの交流をえがいた物語でもある。 スマイスは英国のエベレスト遠征では昭和8年~13年までに3回参加し、昭和8年のエベレスト遠征ではシプトンが不調なため一人で8500mまで登っている。なんと言ってもスマイスの真価は昭和6年ヒマラヤの「カメット」7756mに登頂したことにある。これは当時、人類が登った最も高い山であった。スマイスの著作ではエベレスト登山をえがいた「キャンプ、シックス」他に「カメット登頂」、自分の生い立ちと山に対する考えを書いた「山の魂」が特に有名である。

4.昭和13年、「第7回英国エベレスト遠征

この年英国のアルパインクラブはティルマンを隊長とし、第7回エベレスト遠征隊を派遣したが、これが戦前最後のエベレスト遠征となった。この時隊員にスマイス、シプトンも入っていたので、3人が揃った最強メンバーによる遠征であった。しかし天候が悪く雪崩の発生などもあり、エベレストの女神は不機嫌であった。スマイス、シプトンの2人が最終キャンプを出て山頂にアタックしたが、やはり天候に阻まれ8300mまでしか到達出来なかった。

この後代二次世界大戦に入り、元々若き時代軍人であったティルマンはヨーロッパ戦線で軍人として活躍する。ティルマンは将校(少佐)であったが出世を嫌い、何時も前線に出て行動していたので、その忍耐と勇気そしてリーダーシップにはイタリヤのパルチザンも賞賛を惜しまず、後年イタリヤのベルノ市に招かれ最高の名誉を受けている。

5、シプトン、ティルマンのヒマラヤ登山と探検

シプトンの書いたヒマラヤの本の代表作は、「ナンダデビ」「地図の空白部」「未踏の山河」であり、ティルマンは「ナンダデビ登攀」「ネパール、ヒマラヤ」「カラコルムからパミールへ」である。シプトンの方がティルマンより8歳ほど若く、山は先輩であり初期は先生でもあった。ティルマンがシプトンに初めて会ったのはアフリカであるが、2人はアフリカの入植者であったが、あるきっかけで昭和5年マウント、ケニアやキリマンジェロを2人で登る。ティルマンの初登山であった。以来二人は名コンビとしてヒマラヤで数々の登山と探検をし、輝かしい登山史を創る。二人の特徴は一つの山にこだわらず、ヒマラヤを幅広く歩き探検したことにある。

シプトンの最も顕著な功績はエベレストの登頂ルートを発見した事にある。戦前7回のエベレスト遠征はすべて北側チベットより行われ、昭和25年第8回遠征でティルマンが始めて南面のネパール側クーンブ氷河を偵察したが、あきらめている。翌年26年第9回遠征隊がシプトン隊長で行われ、クーンブ氷河を偵察し登頂ルートを見つけ、10回目の遠征で英国隊は遂にエベレストの登頂に成功する。

エベレストのクーンブ氷河ルート

エベレスト遠征にはシプトンが5回、ティルマンが4回参加している。今日エベレストへ一般ルートとして使用されているルートの発見者はティルマンとシプトンであり、その麓にあるナムチェバザールのシェルパ族を優秀な登山者に育て、登山に協力して貰える様にしたのもティルマンとシプトンの功績が大である。

ティルマンの最後のヒマラヤ遠征は昭和24年~25年であり、ランタン、ヒマールとアンナップル、ヒマールであるが、既に52歳となっていた。ティルマンは若き頃、アフリカを去るとき大きな冒険をしている。それはアフリカ大陸の東側のナイロビ(ケニア)から西海岸のエディア(カメルーン)までの自転車による単独横断である。ほとんど野宿と現地食で行われた。

6.航海の冒険者としてのティルマン

既にヒマラヤを登るには体力に自信の無くなったティルマンは、56歳でミスチーフ号と云うエンジン付きの大きなヨットを購入し、海の冒険へと乗り出す。これは私の予想外の出来事であり、登山家ティルマンが如何なる海の冒険をしたか大変興味があった。ティルマンはお父さんが実業家で資産を残してくれたのと、アフリカの土地を売ったお金を登山費用に当てていた。他人の金で行ったのは国家的事業のエベレスト遠征ぐらいであり、本人も一生独身で通し、家は最愛の姉親子に任せていた。

ミスチーフ号を買ってからのティルマンは海の男として、数々の大冒険をする。昭和30年にパタゴニアの荒海ホーン岬を通過し氷で埋まったフィヨルドに入り、ボートで上陸し氷河を登りアイスキャップを始めて横断する。南極に近いこの土地は全てが凍りついている厳しい所である。

以後ティルマンは登山家として、海の男としてミスチーフ号の船長として数々の冒険をし南極海や北極海で14年間、11万4千マイルも航海した。アマチュアの船乗りとしては誰も訪れたことの無い、荒涼たる土地や島を探検し登山もした。こうしてティルマンは長い英国航海史に残る、輝かしい1ページを加えることとなる。地図上にはミスチーフ号にちなみ2つの山と1つの岬にミスチーフの名が付けられた。ミスチーフ号が北極の氷にはさまれ沈没した時はティルマンも落胆したが、その後買ったシー、ブリーズ号も4年後にグリーンランドで難破、沈没するが、75歳でバロック号を買う。数々の航海をし、何冊かの航海記を纏め出版した、ティルマン最後の航海は昭和52年79歳であった。若い友人に誘われ、南極の海へ航海し80歳の誕生日を過ごすことにしたが、南米のリオを出港しフォークランド島に向かい南極に行く予定であったが、以後のことは何も分からない。こうして後わずかで80歳になろうとするまで、冒険をつずけた登山家ティルマンには墓が無い。

彼は今でも地球を廻って生きている

A・E・ハウスマン

こうしてティルマンの一生は終わったが、山に、海に、人の出来ない大冒険を行い、その情熱は80歳までも続いたことは驚異に値する。こうした天才を我々凡人が真似る事は出来ないが、少なくともこの本から大きな勇気と感動を受けたことは幸いであった。

参考文献

著作著者年代
高い山はるかな海J・R・L・アンダーソン1982年
未踏の山河E・シプトン1962年
ネパール、ヒマラヤW・H・ティルマン1976年
ナンダデビ登攀W・H・ティル 
天国、地獄、ヒマラヤH・レッヒェンベルク1959年
キャンプ、シックスF・S・スマイス1959年
山の魂F・S・スマイス1938年

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