日本の登山の歴史 No.1
もくじ
「人は何故に山に登ってきたか、その発展の歴史」
- 生活の為の登山―古代 (食料採取として、獣、木の実,山菜、石器の石採取、山への感謝=山は神)
- 宗教的目的の登山―奈良時代―平安時代以降 (古代は山を神と崇めたが、奈良、平安時代仏教が入り山は修行の場となった)
- 戦略的、政治的支配の為の登山―戦国時代 (戦いの場として、土地の支配、森林管理として)
- 薬草採取の為の登山―江戸時代 (医者、学者が高山植物を薬草とし採取、医療、研究)
- 旅の中の遊びとしての登山―江戸時代~明治時代 (文人墨客、画家、武士、医師、町人等、多くの人々が山を文化として育てた)
- 科学的調査の為の登山―明治時代 (土地測量、地質、鉱石、動植物、気候等の調査研究)
- 探検、スポーツとしての登山―明治時代~昭和 (未知な山岳を明らかに、教育的スポーツ、人間の限界へのチャレンジ登山家)
- 趣味、自己表現、観光としての登山―現代 (戦後のサラリーマン登山、プロの登山家、中高年登山、あらゆる層が商業化)
1.生活の為の登山―古代
1-1.石器時代~縄文時代
- 八ヶ岳連峰の広大な裾野1000m高原地帯は日本の先住民族(弥生時代以前の古代人)の生活根拠地となっていた。
- 八ヶ岳の森林帯2200m地点で矢じりが発見され、編笠山の2400m地点でも矢じりが発見され狩りが行なわれていた。
- 北八ヶ岳「天狗岳」の南面1200m~1900mの高地には竪穴住居跡が60箇所発見されている。
- 奥多摩「御岳山」「御前山」などの山頂にも石器時代の遺跡が多数発見されている。(御岳山の矢じりは甲州産の石多い)
- 石器時代~縄文時代には高地、山頂に多くの遺跡が発見され、狩猟や野生の植物の果実や山菜などで生活していた。人口も大変少なかったので可能であった。
1-2.[弥生時代]稲作文化が渡来し農耕時代が始まる
- 後に日本民族の主流となった民族が水田を主とした農耕を行ない、山は大切な水の支配者として、又食料の供 給者として崇められ、感謝の気持ちい、山が崇拝の念となり、祭り事となり宗教者の必要が出てきた。祭り事は部 落の長が取り仕切る様になる。
- やがて山岳は神となり、祭事を行う者の神聖な修行の場ともなっていく。「此処に宗教と登山が結びつきます。」
1-3.古墳時代(権力者が大きな墓=古墳を作った時代)
- この時代になると古墳=墓を作り死者を葬る事が神事として定着する。やがて山はもちろん海や川なども災いから身を守る為や、穀物の豊作、海路、水路の安全の為に、祈りの対象になって来る。[埼玉の古墳群は日本では最大級の規模であろう]
- 草加市と足立区の境である毛長川は古墳時代は入間川で利根川の支流である川幅が400mの大河であった。現在川の脇には多くの遺跡が有り、特に伊興町の遺跡は、祭事を行う為の土器が多数出土しており、祭事の為の部落が形成されていた。
- 古代の人々は我々が思う以上に自然現象を神として恐れ、その災いをのぞく為に国家として、部落として、真剣に神事に取り組んだ。この時代完全に神事は支配者が仕切る時代となる。
2.宗教的な目的の登山
2-1.修験者(山岳で修行を行なう者)の始まり
1)山や川、海が自然発生的に神としての対象となり、神事が行われていたが、538年に仏教が日本に渡来してから、仏教系統の山岳修験道が発生してくる。修験道は山伏が発達させた。(538年とは聖徳太子が法隆寺を建設した69年前に当たる。)2)仏教の渡来以後、初めは寺院が平地に建てられたが、大和朝廷の奈良中央政権の仏教が立身出世に堕落し 、真の仏教を求め山岳修行に入り山寺を造る僧も出て山の周辺の住民に信仰される様になり、次第に大きな力を持つようになる。(仏教の大衆化)
3)当時はまだ西日本中心であったが、比叡山、高野山、吉野山、大峰山、などが霊山として崇められ山岳仏教の中心となる。
注)平安時代初期に遣唐使として中国に渡り、仏教を学んだ2人の天才おります。
最澄:比叡山に草庵を築き、山林仏教の修行をし天台宗を開く。 後に発展して比叡山延暦寺となる。
空海:(弘法大師)高野山に入り、山岳修行をし真言宗を開く。 弘法大師は全国を行脚し民衆に仏教を広める努力をした。
「二人の天才はいずれも山に入り、山の霊気を受け修行し悟りを開き、山岳宗教を完成させた、日本仏教の開祖といえる。」
4)修験者は呪術(呪文)が民衆に対しより効果を高める為、より険しい奥山へ足跡を伸ばす必要があった。
(山=神仏=宗教家が一体になった事を知らしめ、民衆に宗教的な効果を上げる為に僧侶や修験者は登山家の必要もあり、その為に険しい岩山、高山を登った。)山岳真言密教などは特に激しい修行を行ない、僧侶としての悟りを高めた。
2-2.日本の名山の開山
山岳宗教が発展し、日本の高山は僧侶によりことごとく登られ奈良時代~平安時代には既に、「立山」「白山」「御岳」「石鎚山」「大仙」「羽黒山、出羽三山」などは代表的な山岳信仰の場であった。以下に山岳宗教により登られた、代表的高山の初登頂の時期を示します。
1)白山・・・・717年奈良時代の高僧「泰澄」により登頂され開山された。修業道場として永平寺がある。
2)立 山・・・白山より遅く、奈良時代末~平安時代初期に「慈興上人」により開山された。(慈興上人=越中国守佐伯有若)
3)剣 岳・・・明治40年7月12日三角測量隊の登頂時に、山頂で平安時代初期に製作された錫杖が発見され、平安時代に既に登頂されていた事が確認された。
4)御 岳・・・774年に信濃国「石川朝臣望足」が登頂し開山。
5)鳳凰三山・・奈良時代に開山された記録あり、開山者は不明。
6)出羽三山・・574年~622年の聖徳太子の時代、崇竣天皇の皇子能除大師の開山と伝えられている。出羽三山には多くの宗教的な歴史がある。
7)富士山・・・平安時代800年代初期には人々に登頂された記録あり。1572年戦国時代に「長谷川角行」が登頂し修行の場とし、江戸時代の富士山信仰「富士講」の開祖となる。(浅間神社信仰)
(日本全国には山により多くの「講」組織が出来、多くの一般の人々が山を登った。)
8)槍ヶ岳・・1828年江戸時代末期に「播隆上人」が登頂開山。初めは綱を付けたが、後に岩峰に鎖を付け登りやすくした。播隆上人は笠ヶ岳の登山再興をも果たし、地元の人に信仰されている。以上より日本の仏教が山岳宗教と深く関係している事が分かります。六根清浄:眼、耳、鼻、舌、身、意、の六つの感覚を清浄にする。