山と文学について なぜ女房を山の神と云うのか?

1.はじめに

農山村の山や田畑の幸を守護し、山を支配する山の神は古くから民間信仰の対照として全国各地に伝承されている。又奥様方を『山の神』と言う風習も全国的に行われている。最近此れに関する2冊の文献が手入ったので、なぜこの様な呼び名が一般化したのか、その理由を明らかにする為に、その内容を纏めてみました。

2.日本における「山の神」と猪と蛇について

日本における文字で書かれた最初の本は「古事記」であり、此れに続き「日本書紀」がある。この中に日本武尊が尾張(名古屋)で婚約中のミヤズ姫の許に「草薙の剣」を置いて、伊吹山に向かい山の神に襲われ命を落とし、白鳥となって空に飛び立つ事が記されている。古事記では山の神を白猪と書いており、日本書紀では大蛇として書かれている。この様に日本では古来から山の神の神格として蛇と猪が用いられているが、蛇信仰はエジプトに起こりアフリカ、ヨーロッパ、インド、東南アジヤ、アメリカ大陸と世界各地に及んでいる。蛇が世界の原始民族に祖先神として信仰された理由は以下の3点であると言われている。

  1. 外形が男根に相似している・・・・生命の源としての種の保持者
  2. 脱皮による生命の更新・・・・・・永遠の生命体
  3. 一撃にして敵を倒す毒の強さ・・・無敵の強さ この様な蛇の特性に原始民族達は尊崇し、祖先神として崇めるになったと推測される。

日本の中期縄文時代の土器は蛇の造型に満ち溢れ、女神の頭部に蛇が巻き付けられた土偶もある。この様に縄文時代には神としての蛇への信仰があった。弥生時代の土器には蛇の造型は見られなくなるが、蛇を「田の神、稲の神、倉の神」などとして信仰するようになる。自然的に発生した山の神に対する信仰は、自然の猛威に対する人間の恐れや尊崇が蛇や猪という形となって表れたものと考えられる。

3.山を蛇に見立てることと、蛇の古名

蛇の姿態は色々とあるが、古代日本人が最も正式な姿として感じた姿が、蛇がトグロを巻いた姿であった。出雲大社にもこの様な図柄があり、大地にずっしりと腰をすえてトグルを巻く蛇の姿に円錐形の山の姿と祖先神を感じたのであろう。
古語には蛇を「羽羽」ハハと云い、「加加」カカとも云った。「夜万加加智」ヤマカカチと読むが、現在の蛇種に山カガシとして残っている。「ハ」「カ」が蛇の原語と考えられている。カカと云いハハと云い人類を今日まで受け継いできたお母さんとしての表現が当てはまる事も意味あることであろう。

出雲大社の図柄「竜蛇様」

4.「神」の原意

神の古形は「カム」であり、身は「ム」と言うが、これを考えると蛇身(カム)=蛇身(カミ)=神(カミ)となったと推定されている。蛇が古代日本人にとって最高の祖先神であったなら、蛇身=神で有っても不思議ではない。

5.「山の神」と猪、蛇そして母、妻との関係

易の八卦と十二支の関係を図に示すが、易方位図では西北を山、反対の東南を沢とし、十二支には左図の如くもう一つの表現があり、此れによると亥(猪)は母、妻であり、反対の巳(蛇)は父、夫である。こうした易の表現によれば前の易方位図と合わせて考えると山=妻であり山の神は妻である事なる。

しかし民俗学的に研究した場合は山の神が妻である事はいまだ判明されていない。妻を山の神と言う風習は室町時代に作られた「花子」と言う狂言にも使われており、かなり古い時代から使われていたと考えられるが、本格的に一般化されたのは江戸時代であるようだ。しかし「山の神」とはけっして新妻や妙齢なご婦人では無く、かなりトウのたった古女房の呼び名とされている。奥様という呼名は江戸時代には大名屋敷には女性の世界である大奥があり表は男性社会であった。この事より妻を奥様と呼ぶように江戸時代からなった様だ。

5-1、山の神の姿と性格(一般的な妻の表現ではない事をお断りします)

易の八卦や十二支によれば山=亥(猪)=母、妻=全陰、老陰の関係が有り、この妻は歳を老いておりかつ暗く強いことを意味するという。こうして滅法強い古女房を山の神としてイメージすることが出来る。多くの伝説では山の神は子供が多く12人居たとされ、地方により十二様として信仰されている所があり、何時も子供や亭主を叱り飛ばし、身なりも構えない多忙な歳をとった余り美しくない神とされている。

また山の神はオコゼに目がなく、この海の醜い怪魚を何よりも好まれるという信仰が全国にある。山の神とオコゼの関係は中世の文献にもあり、かなり古くから各地でオコゼを山の神にささげる風習はある。山の神は一般に女神様とされており、嫉妬深い為にあまり綺麗な物を捧げるとやきもちを焼くので、醜い不器量なオコゼを捧げると言う事が伝説になっている。実際はオコゼの刺の毒性が邪霊を祓うと考えられている。

易によれば山の神は陰の神霊化と解釈することが出来、供物は当然陽の象徴物である陽物の男根がオコゼ同様に山の神を喜ばす供物として考えられ、男根の彫り物が全国的に山の神祭りには頻度の高い貢物となっていた。現在では余り行われなくなっているようだ。海の怪魚「オコゼ」

5-2.山の神と田の神の関係

山を支配する「山の神」は古来から「田の神」と結びつけて信仰されており、春秋二季の特定の日に山の神から田の神に交替するとか、山の神が里に下りて田の神になるとか、古くから信じられてきた。したがって多くの地方では収穫の十月と農事初めの二月に山の神が田の神となると信じられ、この月に祭りが行われ山の神は田の神として作物の神となる 。

6.おわりに

以上、山の神について述べてきたが、やはり世の中も家庭も女性である「山の神」有っての平和である事を認識する必要がある。世の亭主諸君くれぐれも山の神には逆らわないようにして下さい。あなた自身の平和のために。

参考文献

1、会報「あしなか」の山の神特集 山村民俗の会 昭和45年3月発行

2、山の神「易・五行と日本の原始蛇信仰」 吉野裕子 1993年2月発行

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