戦前、戦後に於ける谷川岳の遭難について

1.はじめに

昭和16年9月15日発行の「日本医科大学雑誌第12巻第9号別冊」が古書店でワゴンの中に乱雑に入れられ500円で売っていた。20ページのわら半紙に印刷された破れそうな小冊子であるが、内容がいいので紹介したい。

2.雑誌の表題

「登山及ビスキーに於ケル遭難者ノ運動医学的統計学的観察トソノ防止対策」第一報 谷川岳(上越国境) 医学博士 長澤 豊

3.内容

年度別遭難死者、登山者数、遭難原因、月別遭難者数、気象状況、遭難者個人分析など、多くのデータと見解が記載され、小冊子ながら充実した内容である。ここに代表的なデータを示してみます。(戦後のデータは東京緑山岳会が纏めた「谷川岳の岩場」から抜粋した。)

4.年度別遭難死者数(昭和6年~16年)

S6年8年9年10年11年12年13年14年15年16年合計
1名1名5名9名10名1名6名2名13名4名52名
昭和6年~16年の遭難死者数

松浦意見:昭和6年9月に清水トンネルが開通し土合に駅が出来、登山者急増の割りには遭難死者が少ない。これが正常であって、「魔の山谷川岳」と言われるほど遭難死者が出た戦後の一時期が異常であろう。

5.最多遭難の昭和15年度の入山者と遭難死者数

月別   入山者遭難死者
1月66人00
2月 22人00
3月193人00
4月 197人00
5月 407人30.74
6月605人50.83
7月 895人30.33
8月 583人00
9月719人00
10月 802人00
11月 273人20.73
12月 193人00
合 計4955人13人0.26
月別集計

※5月一般登山者の増加か、入山者増加。

松浦意見:登山者に対し遭難死者も少ないようだ。学校山岳部、町の山岳会に所属する、小数の山を志す若者が慎重に山を登っていたのであろう。この時代はルートも整備されておらず、今の登山者が当時の谷川岳を登ったら、遭難多発であろう。

6.月毎の過去10年間の死亡原因(戦前)

月別墜落疲労雪崩不明小計
1月10001
2月02709
3月00101
4月30306
5月35109
6月12306
7月30003
8月00000
9月42006
10月33028
11月12003
12月00000
合計191615252

松浦意見:やはり墜落、疲労凍死、雪崩が圧倒的に多い。墜落、疲労凍死は年間満遍なく発生する。雪崩は2月~4月に注意。6月はブロック雪崩。

7.登山コースと遭難(戦前)

登山内容コース墜落疲労雪崩不明小計
一般登山一般コース35008
一般登山難コース784221
岩登り難関コース913013
一般スキーコース02406
特殊スキーコース00404
合計191615252

松浦意見:登山者が難しいルートを登る事が、一番注意を必要とする。難コースの遭難が65%を占める。特にこの時代はルート整備が行われていないので、現在から考えると大変危険が多かった。

8.戦後の年度別遭難死者数(東京緑山岳会調査報告)

年度冬期雪崩一般ルート落石岩登その他疲労凍死墜落疲労凍死合計
33年2216105531
34年941573433
35年1711192233
36年2433121227
37年261277126
38年220352014
39年170280018
40年410470016
41年49110131038
42年810370019
合計3543839952114255

松浦意見:昭和30年頃からヨーロッパ的アルピニズムの影響を受け、登山者はより困難なルートとして、岩登り、冬山、冬期登攀に向かい、遭難が激増した。このために冬期及び危険地滞における登山に対し、登山条例が定められた。こうして東面の危険地帯(マチガ沢、1の倉沢、幽の沢、等)に関しての登攀は、群馬県警の認可を必要とする事となった。{登山事故は歩行中の事故として扱われるので、交通課が担当する。}

9.谷川岳での遭難死者年代別数

期 間 年 度遭難数期 間遭難/年
昭和 6年~16年52人11年間4,7人/年
昭和17年~32年143人16年間8,0人/年
昭和33年~42年255人10年間25,5人/年
昭和43年~44年50人2年間25,0人/年
昭和44年6月までの合計500人39年間12,8人/年
昭和44年~2005年281人36年間7,8人/年
2005年現在までの合計781人74年間10,6人/年

松浦意見:戦前は登山者も少なく、遭難も少なかった。年間の死者が1~2名と言う時もある。戦後の最盛期は25人/年と遭難死者も激増している。昭和44年以降は登山者数の減少と、困難な冬山や岩登りをする登山者が減少し、また経済的に裕福となった日本では、意欲的な登山者はヨーロッパアルプス、ヒマラヤへと向かって行ったので、谷川岳の遭難は減少していると考える。又岩登りルートも整備され、ゲレンデ化の傾向もある。

10.遭難死亡原因とその割合{戦前、戦後の比較}

遭難原因戦前の割合(S6~16年)戦後の割合(S32~42年)
岩登り墜落17%37%
一般墜落19%15%
雪崩29%14%
冬期、難コース疲労凍死21%17%
一般疲労凍死10%8%

松浦意見:戦前に比べルートの整備、山の情報が豊富になり、登山者も危険地帯に対する心構えが出来、岩登り墜落以外はことごとく、死亡原因として減少している。

しかし減少した分のほとんどが岩登りによる遭難事故に転化してしまった。これも戦後のデータが昭和33年から42年までの、最もアルピニズムの先鋭化した時代である為であり、以降はこのような状況とは変化していると考える。

現在のように中高年の登山者の多い時代は、全ての点で、遭難事故は減少しているであろう。むしろ最近では一般滑落、疲労凍死が割合としては増加しているかもしれない。最新のデータも調べてみたい。

11.遭難と地域

地域一の倉沢マチガ沢幽の沢南面その他小計
昭和40年11401016
昭和41年181142338
昭和42年9001919
昭和43年17022526
合 計5515661799
55156617100

松浦意見:半数以上を1の倉沢の遭難が占めるのも、魅力ある困難なルートが多いことに他ならないが、幽の沢と南面(鷹巣沢,オジカ沢)が以外に少なく、登山者数も少ないのであろう。

参考文献

1、日本医科大学雑誌第12巻第9号別冊 昭和16年発行

2、東京緑山岳会編「谷川岳の岩場」 昭和49年発行

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